避けられない運命、変わらない日常
ワニが死ぬ100日目。
集合時間に遅れたワニを心配するみんなの様子。
実際にはワニはひよこを助けたために亡くなっており、集合場所には現れません。
ここで、三日目の伏線が回収されています。
ここで今回の考察の伏線が回収されます。
注目は二枚目と三枚目の画像。この物語がネズミの記憶の中を生きる生前のワニであるとすれば、時系列が逆になっています。
本来ならこう。
ここまでが100日目の出来事。
ネズミがワニの様子を見に行くと、亡くなったワニの姿が発見されます。
そして数年後の同日、桜は満開で写真を撮り、ワニもいたグループのラインにネズミがよくね?の文字とともに投稿。
このように考えられる理由は二つあります。
一つ目は、このネズミの送った画像に既読が1しかついていないこと。
上の画像ではワニはラインのトーク画面を開いたまま亡くなっています。しかし、ワニの携帯のラインの画面は開かれているのに、ワニの携帯の画面にはネズミが送った満開の桜の写真とよくね?のコメントは写っていません。
また、ワニの携帯に移る桜の写真とネズミが送った桜の写真は全く同じ画角(場所もワニが倒れたところ)で撮られていて、ワニの命日に当時を思い出しながら撮ったものなのではないかとも考えられますよね。
ここから、これが送られたのは別の日なのではないかと考えました。
二つ目は、ネズミが桜を送るシーンとワニが倒れているシーンには日付が記載されていません。明確に100日目であるといえるのは一枚目のみんなが心配しているときの画像だけなのです。
よくね?のコメントはワニの命日であると仮定すると不自然(場に合わない)とも思えますが、あえてネズミは生前のワニとともに過ごした日常と同じ言葉を使うことで、二度と帰らない日常を惜しんでいるのではないかと考え、避けられない運命、変わらない日常というタイトルでこの章を締めさせていただきます。
100日すべてを通して、ワニは小さなひよこの命をも守る心の優しい人物でした。
同じ価値観を持ったよき友としてネズミは死んだワニのことが忘れられず、ともに過ごした日々を回顧しているシーンを描写した漫画なのだろうなと思いました。
待ってれば来るだろという友達に反し、迎えに行くというというネズミの行動からワニへの愛が感じられますね。
友情の尊さのみならず、作者の人生観についてまで触れることができたような気がします。
漫画家(好きなことを職業に)として生きる作者の過去の葛藤、友人を亡くした作者の気持ちが痛いほどよくわかる素晴らしい作品でした。